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【書籍要約】感染症の世界史|忘れた頃にやってくる

おそらく、現在生きている人々が初めて経験しているであろうパンデミック、新型コロナウィルス。テレビをつけてもコロナウィルスの報道ばかり。かといってうかつに外出することもままならない。いつ収束するのか、果たして本当に収束するのか。そんな先の見えない不安にかられながらの毎日を悶々と過ごしている、そんな方も多いと思う。ぼくもそのうちの一人だ。なぜこんなことになったのか、過去にこのような現象はなかったのか。本書『感染症の世界史』をひもといてみたら、とんでもない。ぼくたちは40億年も前からずっと途切れることなく続いてきた微生物との「軍拡競争」に打ち勝ってきた「幸運な祖先」子孫だった。

感染症の世界史 (角川ソフィア文庫)

感染症の世界史 (角川ソフィア文庫)

  • 作者:石 弘之
  • 発売日: 2018/01/25
  • メディア: 文庫
 

著者

石 弘之*1

アテネの疫病

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人類は誕生以来感染症と戦ってきた。アフリカで誕生した祖先たちは犬科動物から狂犬病チンパンジーからマラリアが感染していたと思われる。日本も縄文時代の遺跡から発掘される噴石*2からたくさんの寄生虫の卵が見つかっています。

記録に残る最古のパンデミックは紀元前430年頃から流行したアテネの疫病*3です。

発疹チフス

紀元前431年から紀元前404年のペロポネソス戦争*4では、籠城*5で対抗したアテネ軍の城内で発疹チフスが発生。城内の三分の一が死亡するという恐ろしいことになった。感染症は人が過密したところで起こる。

 

軍隊はほとんどが若い男性の集団であり長時間生活を共にするし不衛生だ。これは感染症にとってはとても良い環境といえる。

発疹チフスは1812年総勢60万人の大軍を率いるナポレオン軍*6大流行した。戦死者約10万人だったのに対して発疹チフスなどによる病死者は約22万人と倍以上の死者が感染症で命を落としている。

さらに第二次世界大戦*7ヨーロッパ戦線では発疹チフスが流行。蚊やノミを媒介していた。米兵50万人が感染し、日本軍は10万五千人以上が感染している。

歴史上死亡した将兵の少なくとも三分の一から半数は病死だったと推定されている。

ペスト

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ペストは中国が起源とされている。紀元前154年頃シルクロードの交易では絹、漆器、ガラス製品などの交易品とともに西から東にはは主に天然痘やハシカ、東から西にはペストを交易してしまった。お互いに免疫がないので東西で大流行してしまう。ローマでは121年から180年(マルクス・アウレリウス帝の時代)にペストで300万人以上が死亡し、その後も流行は続いた。

543年、首都コンスタンチノーブル*8では毎日5,000人もの死者が出て人口の4割が亡くなっている。

黒死病

14世紀はペスト史上最悪大流行が起こる。10世紀頃からヨーロッパでは中世農業革命が起こり食料が増え人口が急増した。しかし、1315年頃にはその人口増加による食料不足に陥りさらには異常気象が続く。そのように人々が弱っているところにペストが襲いかかった。

人口増加により街は不衛生きわなりなく、路上のゴミや糞尿で悪臭を放っていた。その結果ペストを媒介するネズミが大繁殖。

ヨーロッパの人口の3~4割の2500万人から3000万人が死亡し、世界の全体では約7500万人から2億人と推定されている。フランス南部からスペインにかけては8割の人口が失われたとされる。

このような恐ろしいことが起こると全知全能であるはずのキリスト教に不信感が生まれルターの宗教改革*9につながっていくし、当時はペストの原因がわかってなかったので、「ユダヤ人が井戸に毒を入れた」と噂が広まりユダヤ人排斥に拍車がかかったし、魔女狩り*10が行われるし、人口が減りすぎて史上初めて森林面積が増えた。

 

そのあともペストの流行は断続的に訪れ、

  • 17世紀にはロンドンで市民の4分の1が死亡。
  • 18世紀にはフランスのマルセイユで約10万人が死亡。
  • 19世紀には中国から始まり香港、海を渡って太平洋一帯に広がる。

など。この恐ろしすぎるペスト菌の発見は1894年。フランスのバスツール研究所のアレクサンドル・イエサンと北里柴三郎*11が同時期に別々に見つける。人類は気の遠くなるような期間を正体不明の敵と戦ってきたのだ。

 

日本にペストが侵入したのは1889年。台湾船の船員から感染が拡大。2906人が発症して2215人が死亡した。政府の対策ネ*12がうまくいき1926年に収束し、それ以降わが国ではペストは発生していない。

天然痘

根絶に成功した感染症

天然痘は1980年に根絶している。これは感染史上最初で最後のことである。人類は天然痘以外の感染症は未だ根絶は出来ていない。唯一根絶に成功した感染症だからといって天然痘の脅威は凄まじく、帝国を滅亡させた歴史を持つ。

スペインの侵攻

15世紀末、コロンブスが新大陸を発見するまでアステカ帝国*13天然痘とは無縁だった。逆に免疫が全く無かったということだ。スペイン人が持ち込んだ天然痘は新大陸で猛威を振るい16世紀初頭のアステカ帝国の人口は約2,500万人と推定されている人口がどんどん減っていく。1521年にアステカ帝国を制服したとされるスペイン人のエルナン・コルテスは「大征服者」として通っているが、実際にはアステカ軍を相手に劣勢で敗走していた。敗戦を覚悟していたところアステカ軍がとどめを刺しに来ない。体制をたてなおし首都に再度突入。視界に映るのは天然痘による死体だらけの街だった。

そのあと、スペイン軍はインカ帝国*14を制服。征服時のインカ帝国は人口の激減ですでに国家として機能していなかった。

読み終えて

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少しでも不安を解消することを期待して本書を読んでみたのですが、正直なところより不安になってしまいました…。ですが、ニュートンはペストにより大学が閉鎖されて故郷に1年間戻っていました。その時に「万有引力の法則」などの研究に打ち込み、なんとニュートンの生涯の実績のほとんどがこの1年間に集中しているのです。

人類はこれまで幾度となく起こったパンデミックを完全勝利とは言えないものの、乗り越えてきている歴史があるということもわかりました。今回もぼくたち人類はそれを乗り越えるし、この困難を乗り越えた後の世界はより一層たくましく、より一層強くなっていると信じています。

感染症の世界史 (角川ソフィア文庫)

感染症の世界史 (角川ソフィア文庫)

  • 作者:石 弘之
  • 発売日: 2018/01/25
  • メディア: 文庫
 

 

*1:1940年、東京都生まれ。東京大学卒業後、朝日新聞社に入社。ニューヨーク特派員、編集委員などを経て退社。国連環境計画上級顧問、東京大学北海道大学大学院教授、ザンビア特命全権大使などを歴任。この間、国際協力事業団参与、東中欧環境センター理事などを兼務。国連ボーマ賞、国連グローバル500賞、毎日出版文化賞を受賞。著書多数[書籍刊行時]

*2:うんこの化石

*3:発疹チフスともペストとも天然痘とも言われている

*4:アテネを中心とするデロス同盟とスパルタを中心とするペロポネソス同盟との間に発生した、古代ギリシア世界全域を巻き込んだ戦争

*5:城の中に立てこもって敵を防ぐこと

*6:1812年ロシア戦役。ロシア帝国が大陸封鎖令を守らないことを理由にフランス帝国のナポレオン1世がロシアに侵攻した

*7:1939年~1945

*8:イスタンブール

*9:教皇位の世俗化、聖職者の堕落などが信徒の不満と結びついて、ローマ・カトリック教会からプロテスタントの分離へと発展した

*10:魔女とされた被疑者を法的手続を経ない私刑等の一連の迫害。現代ではパンデミックに対する無知などの社会不安から発生した集団ヒステリー現象だったと考えられている

*11:「日本の細菌学の父」ペスト菌発見の他にも破傷風の治療法を開発。日本の感染症医学の発展に貢献

*12:ズミを買い上げると同時にねずみの天敵である猫を飼うことを奨励した。※この時に洋猫が増えたらしい

*13:1428年頃から1521年までメキシコ中央部に栄えたメソアメリカ文明の国家

*14:1533年にスペインに滅ぼされるまで約200年間続いた国家。現在のチリ、アルゼンチン、コロンビアあたり