現代は「書く時代」「書かされる時代」その流れは止まらない。
メール、企画書、プレゼン資料、就活のエントリーシートにSNS投稿。インターネットやスマートフォンの普及で、毎日だれもが「書いて」いる。
まだ見ないコミュニケーションツールもどんどん生まれてくるだろう。それによりどんな人も書いたり、書かされたりする場面がふえてくる。
「20歳の自分に受けさせたい文章講義」は「話せるのに、書けない」「文章にリズムがないい」といった人向けに筆者が現場で身につけた実学が包み隠さず書かれている。
著者
古賀史健*1(こがふみたけ)
「20歳の自分に受けさせたい文章講義」の要旨
- 「書く」とは「翻訳」である
- 文章は「リズム」で決まる
文章は”書く”のではなく”翻訳”する
頭の中の「ぐるぐる」とは
会話をするときは非言語的コミュニケーション*2を存分に使いこなして相手に意思を伝える。電話でさえ、「会って話せばもっと伝わるのに!」という悔しい思いをすることがある。文章は言いたいこととは他に、文字だけで表情や身振り、声の質といった感覚的なことも伝えなくてはならない。
この目には見えない感覚や気配、予感といったものを頭の中の「ぐるぐる」と定義している。そして、この頭の中の「ぐるぐる」を伝わる言葉に翻訳したものが”文章”なのである。
数学が苦手な人に数学用語をふんだんに使った文章を差し出しても、まず読んでもらえない。読んでもらうには、数学用語を数学が苦手な人にも理解できる言葉に”翻訳”して書く必要があるのだ。”書く”という意識を捨て、”翻訳する”という意識に変えよう。
聞いた話を人に話す
頭の中の「ぐるぐる」の翻訳のトレーニングとしては聞いた話を人に話すことがオススメ。ポイントは自分の言葉にして誰かに話すこと。話すことによって得られるものは3つ。
- 再構築
- 再発見
- 再認識
「再構築」は、言葉にするプロセスで話の内容を再構築する
「再発見」は、語り手の真意を「こういうことだったのか」と再発見する
「再認識」は、自分がどこに反応し、なにを面白いと思ったのかを再認識する
このような効果が期待できる。これがそのまま頭の中の「ぐるぐる」を翻訳するプロセスである。
書くことの醍醐味
われわれは理解したから書くのではなくて、理解するために書くのだ。
「考えてから書きなさい」というアドバイスはよく聞く。これは間違いで、「考えるために書きなさい」が正解なである。
書く、という再構築とアウトプットのプロセスを経て、自分なりの解をみつけていくことが書くこと、翻訳することの醍醐味なのだ。
文章はリズムで決まる
文体の正体とは
「文体」とはズバリ「リズム」である。大きくは2つの要素からなる。
- 文章の語尾に注目して「です・ます調」と「だ・である調」を使い分けること
- 「私」「ぼく」「俺」「筆者」といった主語を使い分けること
これを変えるだけでかなり違った印象の文章になるはずだ。もちろん、この他にも視覚的なものがリズムを構成する。
視覚的リズムは
- 句読点の打ち方
- 改行のタイミング
- 漢字とひらがなのバランス
などがリズミカルな要素を作るためには大切な要素である。
句読点は1行に最低ひとつ入れる。視覚的リズムの観点から句読点は”物理的なスペース”を作ってくれ文章の、圧迫感を緩和し、ここで文章がが切れるとわかる。
改行も”物理的なスペース”を作り圧迫感を抑える意味がある。なので、改行のタイミングは早くてもいい。文字がびっしりと並んだ真っ黒な文章は圧迫感が高く、読むのもなかなか大変だ。
漢字だらけの文章も読みづらいということが想像でよう。この原因もやはり圧迫感だ。しかし、パソコンやスマートフォンで文章を書くと、「薔薇」や「憂鬱」など手書きでは書けない漢字も書けてしまう。なので、ついつい漢字で書きたくなる。
漢字が多い文章は第一印象が悪い。難しすぎる漢字が入っていれば尚更だ。
かといって、ひらがなだけのぶんしょうがいい、ということではない。このように、ひらがなだけのぶんしょうというのはとてもよみにくいのである。
大切なのはバランスで表意文字である漢字が引き立つバランスで表音文字であるひらがなを使うようにする。
読みやすい文章はリズムの良い文章で、読みにくい文章はリズムの悪い文章のことだ。そして、リズムの良い文章は論理的整合性が取れている文章のことである。
接続詞はリズムのキーマン
文章は非言語的コミュニケーションが使えない。ここを忘れると論理破綻をしている文章になりやすい。そこで、論理破綻に気づくには接続詞に注目する。
「今日は大盛りのカツカレーを食べました。”だから”お腹が空いています」
「今日は大盛りのカツカレーを食べました。”ところが”お腹が空いています」
前者の文章は論理破綻を起こしてしまっている。「そして?」「しかし?」「だから?」「つまり?」どの接続詞がしっくりくるのか?接続詞を意識するだけで文章は論理破綻を起こしづらくなる。
美しい文章より、正しい文章を
文章には文体があり、文体とはリズムだ。文章のリズムを決めているのは論理的整合性で、それは接続詞により守られる。
「美しい文章」を目指す必要はない。それは文章の本質が”伝えること”だから。いくら美しい声をしていても発音がデタラメなら伝わらない。一方、聞き取りにくい声でも発音が正しければ会話は成立するのである。
目指すべきは正しい文章、論理的整合性の取れている文章なのだ。
さらに、正しさを意識することは、客観的な目線を意識することにも繋がっている。接続詞を好き嫌いではなく、正しいかどうかで判断することは論理性を保つということで支離滅裂な文章にならない。文章に正解はないが、あからさまな不正解はあるのだ。
”書く技術”を身につけることは、”考える技術”を身につけることにつながる。”書く技術”が身につけばものの見方が変わる。物事の考え方が変わる。そしてきっと、世界を見る目も変わってくる。
読み終えて
読む前は”文章講義”というタイトルから、さぞかしありがたいことが書かれているのだろう、と思ってしまい「理解できるだろうか?」と、肩に力が入り、身構えながら読み始めた。とんでもない。
本書は読みやすいし古賀さんの書くことに対する情熱、面白さ、愛がひしひしと伝わってくる。読んでいてワクワクするし、自分でも文章を書いてみたくなる。「書くこと」にワクワクさせるなんて、さすがは「書くこと」のプロ中のプロだ。
仕事でも勉強でもプライベートでメール、論文、SNSなど「書く」ことにはほぼ全ての人が毎日携わっていることではなかろうか。
著者は本書の中で「業種や職種に関係なく身を助けてくれる武器、それが文章力なのだ。(中略)文章力という武器を手に入れておくことは、将来に対する最大級の投資になる。」と言い切っている。ぼく以外にも、これに同意する人は少なくないはずだ。