TOEIC L&R TEST: 900点超えへの道

TOEIC L&R TEST で念願の900点を突破するまでの道のりを綴っていきます

【書籍要約】孫子の兵法|現存する最古の兵法書(多分)

孫子はおそらく現存する最古の兵法書をといわれている。それは今から約2,500年前の紀元前500年頃。中国は春秋戦国時代*1。血で血を洗う戦乱の時代。孫武*2という人が書いた軍事戦略書。武経七書*3の一つ。 当時の中国はいくつもの国家が群雄割拠しており、戦争に明け暮れていたため、各国は「兵家」といわれる軍事のプロフェッショナル、いわば軍事コンサルタントを雇っていました。軍事コンサルタントの数も多かったので、数百点にもおよぶ兵法書があった。しかし今日まで残っているものは少ない。孫子が残っている理由、それはシンプルに現在でも通用する優れた兵法書ということにほかならない。

 

孫子の兵法 (知的生きかた文庫)

 著者

守屋 洋*4(もりや ひろし)

 

孫子の兵法」の要旨

  1. 相手の戦力と味方の戦力を正しく分析する
  2. 分析の結果、勝てる戦いは戦う
  3. 分析の結果、勝てるかどうかわからない、または負けそうな戦いは絶対に戦わない
  4. そもそも戦うな

かれを知り己れを知れば、百戦して殆うからず

f:id:hossiino:20200416043332j:plain

戦わずして勝つ

孫子兵法書なので、いかに勝つかという方法論が列挙されているが最も善い策は戦わないこと。と説いている。 第一に相手の意図を見抜き、これを阻止すること。第二に相手の仲間を分散させて孤立させること。そして第三に戦争だ。孫子でおそらく一番有名なことば「かれを知り己れを知れば、百戦して殆うからず」を磨いていけば、相手の意図を見抜き、これを阻止することができるようになる。戦火を交えることになってしまうのは”かれを知り”がうまく行っていない。知ったつもりで全然わかっていないのだ。

かれを知り己を知れば戦わずとも勝てる

豊臣秀吉はこれをわきまえていて、信長が本能寺に斃れる直前の中国攻略は戦争らしい戦争をほとんどせず交渉で相手を屈服させてきた。このころの秀吉は敵も味方もなるべく死者が出ないような戦い方を選んできた。かれを知り、弱点を交渉で攻めて勝利し降伏した相手を仲間に引き入れてきたのである。秀吉が「人たらし」と言われる所以だ。

人に致して人に致されず

主導権を握る

かれを知り 相手をよく分析して相手の弱点を見つける。落ち着いて全体を俯瞰すれば必ず手薄なところはある。

楚の項羽と漢の劉邦の有名な楚間の戦い*5で勝者である劉邦は敗戦の連続だった。敗走を繰り返しあきらめかけていたところ酈生(れきせい)という軍師の進言で項羽軍は食糧の貯蔵地、敖倉(ごうそう)の守りが弱いことに気づく。戦争で食糧の確保は最重要項目だ。敖倉(ごうそう)を奪取した劉邦軍は主導権を握り態勢を立て直し、逆転勝利。漢王朝をおこすにいたる。

「兵の形は実を避けて虚を打つ」とは相手の得意なところと勝負するのではなく、不得手なとこと、苦手なとことを見つけ勝負する。

 その無備を攻め、その不意に出ず

f:id:hossiino:20200417133527j:plain


基本問題 「道」「天」「地」「将」「法」

道は組織のリーダーの人望。個人であれば自信といえる。

天は時間的条件。天気や、季節などのこと。

地は地理的条件。お店なら郊外なのか都市型なのかインストア型なのか。

将は将帥の器量のことで、現場のチームリーダーの総合的な能力。

法は現場のチームの職責分担や、ルールがうまく機能しているかどうか。

将と法はまとめて、現場での職務遂行能力と置き換えられる。この基本問題を相手側と味方側を十分に分析する。

基本条件「君主」「将帥」「天地」「法令」「軍隊」「兵卒」「賞罰」

基本問題を分析した上で、

「君主」どちらが人望があるか

「将帥」どちらの能力が高いか

「天地」天の時と、地の利はどちらにあるか

「法令」どちらが遵守されているか

「軍隊」どちらが強いか

「兵卒」どちらが鍛錬されているか

「賞罰」どちらが公正か

この七つの基本条件を今の自分の状況に置き換えて正確に比較することができれば、戦わずして勝敗を知ることができる。

以って戦うべきと、以って戦うべからざるとを知る者は勝つ

堂々と逃げる

逃げることは勇気のいることだ。「逃げるのは恥ずかしい」「逃げるのは卑怯者のすることだ」「どういう結果になろうと逃げることだけはしない」こう行った価値観を持っている方もいるだろう。しかし孫子には勝てなそうだったら逃げろ!と、はっきり書いてあるのです。

戦争のしかたは次の原則に基づく。

十倍の兵力なら、包囲する。

五倍の兵力なら、攻撃する。

二倍の兵力なら、分断する。

互角の兵力なら、勇戦する。

劣勢の兵力なら、退却する。

勝算がなければ、戦わない。

劣勢の兵力なら逃げろ。と明記してある。さらには2倍の兵力がいても分断しろという慎重ぶりだ。このように孫子の兵法には全篇通して勝つことよりも負けないことが大事と説いている。

逃げるのは積極戦略

逃げるのは何も恥じることはない積極的に逃げて自分の足りない部分を補って再挑戦をすればいいのだ。

 

f:id:hossiino:20200417133358j:plain

兵に情勢なく 水に常形なし

常に変化を

どんな組織もいったん出来上がってしまうと、成立時の意義や内容が失われ動きが悪くなってしまう。孫子は水のように柔軟に形を変え、対応せよととく。

兵ニ常勢ナク、水ニ常形ナシ。ヨク敵ニ囚リテ変化シ、而シテ勝ヲ取ル者、コレヲ神ト謂ウ。故ニ五行ニ常勝ナク、四時ニ常位ナク、日ニ短長アリ、月ニ死生アリ。

(訳)水に一定の形がないように、戦争にも、不変の態勢はありえない。敵の態勢に応じて変化しながら勝利をかちとってこそ、絶妙な用兵といえる。

それは、五行が相克*6しながらめぐり、四季、日月が変化しながらめぐっているのと同じである。

 読み終えて

孫子に学んだ人物は多い。中国には三国志の英雄、曹操。日本の武将、武田信玄。彼の旗印「風林火山」は孫子から引用している。ヨーロッパはナポレオンが孫子を座右の書としていたとされる。孫子を学んでいたかどうかはわからないが織田信長の戦も思い出してみてほしい。勝てるとわかっている戦しか仕掛けていないのではなかろうか。一か八かの戦争は徹底的に避けてきた。例外と思うのは桶狭間の戦い。しかし、これも孫子のいう「死地」の教えを守って勝利している。

死地ニハ則チ戦ウ(訳)「死地」すなわち絶体絶命の危機におちいった時は、勇戦あるのみ。

これを愚直に実行して今川義元を討った。現在活躍中の著名人が「勝てない戦いはしない」という趣旨の発言をしているのは聞いたことがある。一人や二人ではない。やはり孫子は現在でも通用する優れた兵法書だ。

 

 

孫子の兵法 (知的生きかた文庫)

孫子の兵法 (知的生きかた文庫)

 

 

 

 

*1:紀元前770年から秦が中国を統一する紀元前221年まで

*2:孫武は呉という国の軍師だったということ。それ以外はよくわかっていません

*3:中国の代表的な古典兵法書孫子の他に、「呉子」「尉繚子」「六韜」「三略」「司馬法」「李衛公問対

*4:1932年生まれ。東京都立大学中国文学科修士課程修了。現在、中国文学の第一人者として著述、講演等で活躍中。主な著書に『兵法三十六計』『「孫子の兵法」がわかる本』『この一冊で「三国志」英雄のすべてがわかる!』、監修に『中国古語「一日一語」』『[図説]三国志がよくわかる事典』『「三国志」男の頭の使い方』『「孫子の兵法」の使い方』(以上三笠書房刊)など多数ある。(刊行時)

*5:紀元前205年から紀元前202年まで、秦王朝滅亡後の政権をめぐって行われた天下分け目の戦い。別名「項羽と劉邦の戦い」

*6:五行説で、木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木にそれぞれ剋つとされること。五行相克